大丈夫?!
本日も母は庭いじり。
母は私にぼやいた。「チューリップが咲かないのよ」と。
え~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これにはさすがに驚いた。視覚的な事象にこだわりが強い母が
チューリップが咲いていた事実を忘れている。ヤバイ
「チューリップが咲かないの?」
「そうなのよ。毎年たくさん咲いていたのに…」
「あのね、病院へ行った日にお母さんと一緒に窓から見たように思うけど」
「窓から見た?」
「そう、今日、何日?」
「今日はね、29日でしょう」
「病院に行ったのは何日前?」
「え?18日…11日前でしょう」
「そうだよね、病院へ行く前に和室の窓から二人で眺めたよね」
「そう?でも、チューリップは咲いていないわよ」
「ん~私の勘違いかなぁ…」
「ちょっと待っていて!見てくる」と母は受話器を置いた。そして
「首もきっていたわ。間違えたアヤメよ。アヤメが咲いていないの」と。
母は間違いなく、少し前まで今年はチューリップが咲いていないと思っていた。
そのためチューリップを確認し、首をきっていた、と答えた。
でも、やはりバツが悪いので、アヤメと間違えたと、チューリップのことから
問題をすり替えたように感じた。
「アヤメのチューリップなら随分違うよね、ふふふふふ、あ~びっくりした」
「そうね、ふふふふふ、アヤメの話よ、チューリップじゃなくて」
とりあえず私は母がアヤメとチューリップを言い間違えたという
ニュアンスにして、その話を通り抜け「あ!時間だわ!」と電話を切った。
分類のあいまいさ?時の概念のあいまいさ?
そんなことより、母が一番興味をもっているだろうと考える庭のできごとを
すっかり忘れてしまっていることに凹んだ。
まだ救いだったのは「誰かがチューリップの首をきってしまった、
そのため、チューリップが咲かなかった」などと認知しなかったこと。
でもなぁ、時間をおくと「私が忘れた?そんなはずはない」から始まって
妄想へとはいっていくことが多い。
不思議な国の八重さんに変身するキッカケは『自分は絶対OK!』の概念が
スタートとなっている。
頼む、単に「あら、忘れてた」で済ませておくれ。
5月29日
サクラ