映画「ユキエ」


朝刊に松井久子監督が映画「ユキエ」を通して、
認知症についてコメントが掲載されていた。

おそらく母も読んだと思う。
見出しは『認知症 認める社会に』となっているが、
映画のあらずじ欄にアルツハイマー病とある。

母は時々「ねぇ、私の病気について近所の人に言わないでね」と言う。
先日は「私の病気への理解がないからね。偏見というか、馬鹿にするというか、
『山崎さん、おかしくなった』『ボケた』と言われるのが関の山で、
悲しいからね」と言っていた。
通院先の診察室の前に「認知症とは?」といった掲示物もあるし、
いずれにしても母は自分の病気を薄々理解している。

私は、松井久子監督のコメントに涙が出た。
ありがとうございます。
「自分が必要とする人にほどつらく当たる傾向があります。
その人に愛を求めているからだと思えてなりません」
以前に書いたように私は母からあまり愛されなかったと感じてきたし、
あまり重要な子供ではなかったと感じていた。
でも、母がアルツハイマーになって、母が私を必要としていること、
そして、私に愛を求めていると思った。
母は投影をする傾向が強い。母が私に愛してほしいと願う気持ちは、
私を愛しているという気持ちの裏返しなのだと思っている。

私は、認知症を認める社会を願っている。
そして、認知症になった人の家族に対しても
同情と偏見を持たないでほしいと思う。
確かに介護にあたっては大変な心労と労力を要すると思う。
昔流行ったテレビドラマじゃないけれど「同情するなら**」という感じ。
でも、お金という物質よりも、認知症とその家族を認める人の心根がほしい。
私は幾度となく「大丈夫ですか?」という労いにも似た言葉を頂いた。
ありがたいと思う反面「大丈夫じゃないです」と答えたら、
どうしてくれるのであろうと考えていた。

言い回しの問題なのかもしれない。
私は「大丈夫ですか?」よりも提案や対策、そして情報がほしい。
アルツハイマー100人いたら100通り。
そして、100人の家族がいたら100通り。
泣いて立ち止っている場合じゃない。進むしかない。

アルツハイマーの初期の場合、陰性行動を起こす背景に様々な心情があると思う。
母の場合、もともとの性格の過剰とも言える不安感などが巻き起こしていると考える。

アルツ薬によって、思考の整理がつきやすくなったと思う。
しかし、思考と情緒は異なる。
私は、現在の母へ情緒にアプローチする薬を飲ませたくないし、
必要もないと思っている。

アルツハイマーも含め、認知症の治療はこれからもっと発展すると思う。
鍼灸やマッサージ、サプリメントなど補完医療として様々な方法があると考える。

私は言いたい!
なっちまったんだから、しょうがない!
だいたいね、水虫や脱毛などの治療についてコミカルに
描いたコマーシャルがあるけれど、認知症治療のコマーシャルがない!
「年だから」と自然にまかせるような一見ありのまま受け入れる様子に
とても疑問を感じている。
ありのままを受け入れるところは、そこじゃないように思う。
誰もがなりたくないと思う病気。それなら早期発見!早期治療!
とっとと病院へ行く!
そのほうが、長い時間、その方の意志で生きていられるし、
家族も後悔が少なく、心労と労力が軽減する。

私はつくづく思う。
母のアルツハイマーを早期発見できて本当によかったと感じている。
時々、誤作動を起こしたり、フリーズしているようだけど、
母はバカバカしいといっていた塗り絵をしたり、きり絵をしたり、
色々チャレンジして自分の病気と闘っている。
なっちまったんだからしょうがない。ここはありのまま受け入れる。
でも、あれこれやって、病気の進行には抵抗する。

受容と抵抗。
これをどのタイミングでするか、本人とその家族にしかわからない。

松井久子監督、本当に温かなコメントを下さってありがとうございます。
そうなんですよ、予防云々よりも、認める社会が必要と私も思います。

6月4日
サクラ