母の逃げ道作り


電話をかけると30分以上も話し中。
とりあえず、メールを入れておいた。
2時間後、再び電話をかけるとお米がなくなったので
いつも利用している商店に配送を依頼したそうです。

「さっきね、竹田さんに電話をして、お米をお願いしたの」
「タケダさん?」
「そう、タケダさん」
「新しいお店?」
「違うわよ、ほら、角の…」

母はかつて住んでいた家の近所のお米屋さんの名前を言っていた。
母は「私、記憶がなくなっているのかしら?」
私は、母が昨日の朝刊に載っていた松井久子監督の記事を
読んでいるように思えた。

何気に話をそらした。
話があっちこっちに飛ぶ。ここ数日、理解力が弱い感じ。
私は「お母さん、私ね、仕事で頭を使いすぎて、お母さんの話に
ついていけないよぉ。お母さん、頭の回転が速すぎるわよ」と言った。
「あら、そう♪ 私、頭の回転が速い?あらごめんね」と上機嫌になった。
「さっき塩田さんの話をしていたのに、もう別の展開になっているんだもの。
私、ひとつひとつ飲み込まないと話についていけないのよ。とろいから」
「そうね、サクチャン、もともとおっとりしているからね」
ひとまず作戦成功!

「今夜の晩御飯は何にするの」と聞いた。
「ん~決めていないの。お風呂に入ろうかと思っているんだけど、
天気が悪いし、面倒になってきて」
「面倒?」「ほら、お風呂洗いがね」
「そのままにしておいたら?」
「ん~まぁ垢がでるわけじゃないけど、上がってすぐに洗わないとね」
「洗わないでおいても死なないわよ。大丈夫よ、それより入ったほうがいいわ」
「そうかなぁ…」
「お母さんね、修道院じゃないんだから、こうしなければならないってこと、
ないでしょう。自分でルールを作って、苦しいし、楽しくないでしょう?」
「そうねぇ~!いいかしらね?」
「大丈夫よ。お母さんね、もうすぐ誕生日よね。人間、目標が大事よ。
受験生が『必勝!』と書いて貼るようにお母さんも貼ったら?」
「え?なんて貼るの?」
「めざせ!すぼら!」
「はははははは、ずぼら!サクチャンを見習うってことね」
「あら?!私、ずぼら?」
「ごめん、ごめん。昔はサクチャンもきちっとしていたけど、
いまはサクチャン、全然気にしなくなったでしょう?」
「ははは、そうね。だって、そんなきっちりしていたら、時間が足りないし、
それならば四角い部屋を丸く、とりあえずテキトーに掃除するとOKよ」
「そうね、それで生きられるんだものね」
「そうよ、お母さん、あれこれきっちりしすぎだわよ。
で、きっちりできなくてイライラしたり、悲しくなったり、
きっちりできなそうなことには手をださなくなって、
だんだん狭くなってきているように思うの」
「そう、その通りだわ。折り紙を折って、曲がるでしょう。もう嫌なの」
「あらららら、別に国家試験を受けるわけじゃないし、趣味よ、趣味。
趣味って楽しむためにあるのよ。楽しまなきゃ」
「そうね、曲がったっていいのよね。塗り絵もはみ出すともう嫌で」
「いいのよ、はみ出したって。愛嬌、愛嬌」
「そうねぇ、愛嬌かぁ」「お母さん、いくつになるの?」「81歳」
「お母さん、考えてもみてよ。81になっても何でも完璧だったら
若い人の立場がないでしょう?高齢者ができなくなるから支える仕事が
できるわけよ。何でもできる年寄は困るよぉ~」
「そうかぁ、確かに言えているわね。ディサービスの人も困るものね」
「そうよ、今の世の中、失業率が高いんだから」
「できなくてもいいんだ」「そ、できないことこをありがたい」
「ふふふ、サクチャン、うまいことを言うわね」
「あら、需要と供給のバランスよ。なんでもバランスが大切よ」
「わかったわ。墨で目標を書くわ!すぼら、ずぼら」
「そ、そ。でもさぁ、お母さん、完璧主義だから、完璧にズボラになって、
今度は『お母さん、もう少しなんとか…』って言うかもしれないね」
「そうかもしれない、一生懸命、すぼらになる努力するから」
「そのあたりさじ加減よろしくね。魚も塩をするといいってわけじゃないし」
「わかった、注意するわ」
「じゃあ、とりあえずそんなところで」
「ありがとうね、いつも仕事の合間に電話をくれたり、メールをしてくれたり」
「どういたしまして」
「感謝しているわ。ありがとう」
「じゃあ、適度にずぼらね、お風呂に入るのよ、洗わなくてもいいから」
「わかった、じゃあね」

こうして、すぼら談義が終わった。めでたし、めでたし。

6月7日
サクラ