私を支えるもの


母は、お薬ですよコールの際、再び風邪を引いていたようだ、と言っていた。
そして、まだ食事をとっていなかった。

「お母さん、ごめん。あとで電話をもう一度かけるといいのだけど、
今日は会議でかけられないの。だから悪いけど、いま薬を飲んでほしいの」
「あら、相変わらず忙しいのね。わかったわ。でも朝ごはんがまだなの」
「そうだよね。困ったね。食後薬は、消化する胃の液で溶けるから…
ねぇ、ビスケットとかなにかすぐに食べられるものない?」
「あ、ピーナッツのおせんべいがあるわ。ちょっとまっていて」
…そういうと母がおせんべいを持っていて、食べだして、
「あのね…」と世間話をし始めた。

ここ数日、母が毎朝風邪をひいたと床にいて、
午後から元気になる状況をさびしさゆえと思っている。
出張から帰ってきた私に会いにきてほしい…。違うかな。
おせんべいを食べながら話し、声が元気になっていく、
そして「おいしいわ、このおせんべい」と言う。

午後から母に電話をかけた。
やはりすっかり元気になっていた。

そして、私は「お母さん、『ちゃんと!』が口癖だけど、
ちゃんとしなくていいこともあるし逆にちゃんと
しないとならないこともあるから。」
「それってどういうこと?」
「折り紙の角は曲がっていてもいいの。ちゃんとしなくてもいいのよ」
「そうよね、わかるわ(笑)」
「そうなの。でね、ちゃんとすることは生活パターンよ」
「生活パターンって?」
「何度もいって申し訳ないんだけど、たとえば毎朝7時に起きる、
8時には朝食をとる、12時には昼食を食べる、5時には夕食を食べる。
こういう何気ない日常生活をちゃんとするの。自由もいいんだけど…」
「それね…私、夜遅いから、必然的に朝が遅いの」
「何時に寝るの?」「12時頃」「若い人みたいだね」「そうでしょう!」
「お母さん、早寝・早起きは三文の徳っていっていたでしょう?」
「そうだったわね…ごめんね」と母は泣き始めた。
「悲しいの?」「だって我儘が身についてしまってできないの」
「できないと感じているのね。でも、ちゃんと子育てをしてきたし
私やお姉ちゃんを起こしてくれたでしょう。」
「だってもうしなくていいし…」
「そうねぇ、お母さんの子どもは成長して自分で起きているからね(笑)」

こう話していると、対象者がいないと行動ができないようで、
母の依存的性格を感じら、自己設定とか自己目的というものが弱いように思う。
わが母ながら「気ままにも節度がある!」と言いたくなることもあるし…。

正直なところ、私は母から倫理観とか道徳とかあまり感じない。
その時々の雰囲気や相手の感情に流され、分別というか判断力がもともと弱い。

私は父に分別を教わった。よく「自分で考えないさい」と叱られ、
母の様子に流されて答えをだすと「それでいいのか?」と問われた。
15歳の時、急に父がなくなり道先案内人を失ったように思う。

母自身、無意識であったと思うが、その時々で変わることが多く、
また、都合のよい子でいる必要があった。
「**さんが言っていた」「○○だった」と事実だけを伝えられ
その意味することが分からず悩んだし、疲れていった。

今思うと父が与えたのか、私はミッションスクールに通い、
聖書の言葉が道先案内人になった。たぶん、仏教の学校であれば、
仏典の言葉が道先案内人になったと思われる。
とにかく何か1本の筋がほしかった。

小さい頃、些細なことですら母の意にそわないことをすると「悪い子!」
「サクチャンが生まれる前までは毎年大みそかに温泉にいって年を越したの」
と繰り返し聞き、どこにもいけないとぼやいている母に申し訳ないような
気持ちになっていたし、ど~も「生まれてきてはいけない」ように感じていた。

父には愛されたと感じているけど、私は長年、母に愛されていなかったように
感じていた。実は、今も私の使命…というと大げさなんだけど、母と娘の
関係性が今でも逆転しているように感じている。
ま、母はもう病気なので仕方がないのだけれど。

たぶん様々な学びをしていなければ、
私はこの状況・環境を呪っていたかもしれない。
ため息をつきながらでも希望を捨てず、というより捨てられないし、
困ったなぁと思いながら母を愛おしいと感じる。

そして、一般的に陰性感情が身近な人に向かうと言われているだけに
母が密かにもっている私に対する陰性感情を考えると
私は母にとって身近な人であると受け止め、
愛されなかったという思いが少し緩和される。


8月6日 広島に原爆が落とされた日
サクラ