母の中のフュージョン


エープリルフール。母の病状が嘘であれば嬉しい。
曖昧な記憶、時の概念が弱い、分類の概念が弱い・・・
たとえ人参が野菜ですか?と聞いてもかまわない。
たとえ野菜を質問されてもししゃもと答えてもかまわない。
分類の認知が曖昧であって問題ないように思う。

母はもともと大変几帳面なほうだけど、正直なところ、
見える部分、見られる部分にその『ちゃんとするエネルギー』
が働いていると感じるし、確かに視覚的なことには優れている。

新聞に載っている間違い捜しは、じゃんじゃんできる。
私は逆に「ここ!」と教えてもらってもピンとこないぐらい
視覚的なことに曖昧で、気にならない。

昔から、母は不安になったり、自分の感情を抑える時に
手元にあるものを触るなど、無意味に同じ行動を繰り返す。
母の防衛機制行動のひとつであると思う。

おそらく母は強い不安を感じた時、
ものを出したり、片付けたり、繰り返しているのだろう。
そして、時の概念が弱いために、どのくらいの時間、
そうした行為を繰り返しているか認知していないと思う。

曖昧な記憶であるがゆえにふと気づいた時、
生活小物の位置の細かい変化を認識する。

その時、「几帳面である」「しっかりしている」という
他者から与えられた評価がそのまま刻み込まれているので
「私はこんなやり方をしない」「私がやったんじゃない」
「誰かがやった」と妄想を言い始めると思っている。

母は、人からどう見られるか、人の目人生を送ってきている。
そして、依存心が強く、欲求が満たされなかった時、
被害者意識を募らせる。

母は、自己全能感情というのだろうか、喜んでもらうため、
受け入れられたい、と必死に仮の全能感情を保持してきたと
感じている。

私は、母がアルツハイマー病の初期であるだけではなく、
これまで発達しきれなかった心が色々な状態を
起しているように感じてならない。

もし神様が私に1つだけ願いを叶えてくださるというのであれば、
母の状態を悪くしないで下さいではなく、
母の生後半年~2、3歳ぐらいの時に私は乳母として
母の認知の発達を支えたい。
高齢になれば、すくなくても物忘れするだろう、
でも、認知が発達していれば、心のバランスが
もっと取れたように思う。
自分と他者の受け止め方も感情も考え方も違う。
このことを知識としてではなく体感として理解できたのに。

神様、せめて母の体感をこれからも育んでください。
脳の萎縮はまだ進んでいないのだから。


4月1日
サクラ