元気で長生き
お昼頃、進学のために親元から離れたばかりの甥から電話。
甥の旅立ちの前日、私は母の病院へ同行し、私だけが呼ばれ
医師から診断結果を伺った。
その帰り、何度も「いつ京都へ行くの?」と甥の出発日を
私に質問して「『行ってくるよ』ぐらい言ってもいいのに」と
ぼやいていた。
その夜、母に電話をするよう甥に依頼しようかと思ったが、
母の病名が告げられた事は、決しておめでたいことではないので、
甥の旅たちイブには控えるほうが・・・と考え、そのうち知るだろう
と考えていた。
甥の電話の一声は「ねぇ、バーさん、大丈夫なの?」。
「あ、聞いたのね。うん、大丈夫。あのままよ。これからよ」
「そう、まだ大丈夫かぁ・・・頭の中の消しゴムだよね」
「そう、なのよぉ・・・」と話が続いた。
大人になったなぁ、と思うと同時に甥の電話がとても嬉しかった。
あ、甥の声を思い出すとちょっと涙がでそう。
甥がまだ4-5歳ぐらいの時だった。甥はアイドルだったけど、
思いあまることがあって「あのね、おばあちゃまは、もう年なの。
来年、桜を見られないかもしれないの。来年、桜を見られても
再来年は桜を見られないかもしれないの」と叱った。
甥は母にすがって「ごめんなさい、イヤだ」と泣き出した。
4-5歳なりに桜を見られるor not その意味を理解したようだった。
翌年だったと思う。
甥は「今日、菖蒲湯に入った。元気で長生きするためだって」と言った。
そして、幼稚園で聞いてきた『毎年、おばあちゃんと菖蒲湯に
入っていたけど、今年はもう、おばあちゃんと入れなくなった」話をして
そして、ベソをかいた。私は甥に桜の話をしたことに胸を痛めた。
母が脚を折って入院した時、甥は、毎日自分でおにぎりを作って、
母を毎日見舞った。そして、母と向かい合って絵を描いたり、
ひらかなの練習をしたりしていた。
母にとっても甥はかけがいのない宝物で、
「あの子が小学校にあがるまでは・・・」「あの子が中学に・・・」と
自分の人生の終盤を甥の成長過程と重ねていた。
母には、せめて甥が大学を卒業するまで、
いまのままでいてほしい。
母は甥から言われた「おばあちゃま、長生きするだけじゃダメなんだよ。
元気でいなくっちゃね」という事を本当に嬉しそうに何度も言っていた。
母は今もその言葉を覚えているだろうか。
聞いてみよう。何気に聞いてみよう。
私はいま母に会いたい。
御飯食べたことを忘れてもいいから私を忘れないで欲しい。
3月31日(土)
サクラ