少し将来への不安


母は、5月末から足が痛いということで、
ディサービスを2回お休みしている。

どちらかというと母はディサービスに行きたがらない。
母にしてみると、ディサービス通所はおそらく義務。
もともと出不精なので、仕方がないと言えば仕方がない。

ここ1週間以上、母はそれほど明るい声ではない。
一時期、元気になったのは、アルツ薬の活性的な効果で、
この感じをみると次回受診する際、3㍉になると思う。

日にち、というか、時の概念は相変わらず弱く、
ずっと前、いつも、など、抽象的な感覚で過ごしているから
これも仕方がないと言えば、仕方がないんだと思う。

それでも時計代わりになるからとTVを少しずつ見るようになって、
ここ数日は、Yosakoiの中継をみたりしているようだ。

介護申請の電話連絡がくるとのことだったが、まだ来ていない。
あれから1か月経過していないかしら…。私も時の概念が…。
母は足腰丈夫といっても、やはり時折、食事を作ってくれるとか、
何か心情的な支えにもなることが必要に思う。

確かにできることは自分で…もいいのだけれど、
残存機能が衰えないように、2週間に1回でも、できることを
一緒に担ってくれるようなサービスがほしい。
それは、家族がやることが望ましいと思う。
でも、家族が地方に住んでいたり、私のような仕事状態であれば、
そういうサービスを望む人もいると思う。

アルツハイマーに物とられ妄想があるので、トラブルがあるかもしれない。
狂気の世界で人と傷つける行為と同じように介護する人を守る、
という立場も重視していく必要もあると考える。

コムスンを見ていると、認識の弱さ、介護というものへの甘さ、
社会というものの甘さなどを感じてしまう。
私は、介護に関わる仕事も聖職と思う。
自ら聖職というとおこがましい感じだけど、そうした意識をもって
自分を戒めてほしい。自分が大切だから戒める、律する。
ただ、それだけのこと。
勿論、厳しくすることだけでないけど、自分に厳しくする部分と
自分に愛しむ部分が逆になっているように感じる。

…といいながら、私もちょっと逆。
疲れがたまって、排尿がうまくいかない。
母に「行けなくてごめんね、体を休めたいの。おしっこが
出なくなってきているの」と伝えた。
「私も頑張るから、サクチャンも頑張りなさい。とにかく今日は
寝たほうがいい。明日も仕事なんだから」と言ってもらえた。
私は密かに不安。なぜなら、以前にも同じパターンがあって、
後になって、母はその不満をぶつけてきた。
でも、あの頃は、アルツ薬も飲んでいなかったし…と自分を納得させる。

母の裏面に隠された陰性感情、そして、それを何気に姉に伝え、
後に私は姉からも陰性感情を何かの際にぶつけられる。それが怖い。
やめた!まだ起こってもいないことを陰性に想像するのはやめよう。

6月9日
サクラ