Yes or No
介護認定のための家族確認が電話で行われた。
母の意識では「どのようなことでもできる/できている」。
が、実際はそうと言えない。
担当医からアルツハイマーの場合、失敗にあまりめげないと
説明を受けているように、その場は反省の弁を述べても
数分後、自分はOKだった、仕方がないでしょう、という状態。
ま、しゃーない。これまで抑圧して過ごしてきたから
ありのまま度がアップするだろうし、もともと自分はOKで
他者はOKではない、と結論つける傾向が強い。
介護認定の記入は段階評価であるが、あまりに単純すぎると思う。
ひとりで乗り物に乗れる or not でいうと母は「乗れる」。
でも、形として乗れるだけで、バスの時間を確認して乗るのではなく
たまたま着たから乗る、ということ。まだバスの機能を認知している。
バスがなんであるかわからなくなったら、かなり進んでいることになる。
生活習慣はどうですか?という質問に対して、
言わなければ、しない、できない。しなくても体制に影響ないらしい。
幸いにも携帯メールを読めるので、
「今頃、朝ごはんを食べているのかしら?私はもうお腹がすきました」
「そろそろお昼御飯ですか?私はまだ昼食を食べにいけません。
餓死しそうです」などと私の様子を知らせるような文面で
たえず母の行動を促している。
電話を下さった方は、私が母の状態を詳しく説明すると
「できるか、できないかなので…。質問をしていいですか?」と
困惑している様子を感じた。
私もちょっと困惑きみで「すみません、それだけですか?」と
言ってしまった。
というのは、私から「今後、こうしたサービスを受けたい」と
言わないと何も訊かない。本人の様子を聞くことが業務だから
仕方がないのかもしれない。調査する方を気の毒に感じた。
ジレンマってないのだろうか…。
確かにシステマティックに整理・分類していかないと
認定に一貫性がなくなるように考えられるが、
個人差がある疾病に対して、あまりに単純化すぎると感じられた。
一般的には、電話は生活関連動作、食事の支度が生活動作。
でも母の場合、電話は生活動作、食事の支度が生活関連動作。
専業主婦といってもそれぞれ生活スタイルが異なると思われる。
介護保険が存在しても、やはり介護自体の仕組みが弱く感じる。
6月19日
サクラ