あ、ちょっぴり・・・味見程度で・・・
昨夜、母からケアマネとホームヘルパー主任の川中さんが来て
ケアマネはお詫びをして30分程度で帰り、その後、川中さんが
料理を作ってくれたこと、お誘いして作った料理を一緒に食べて
くれたと聞いていた。
私は先日川中さんから母にヘルパーさんにお茶やお菓子を
出さないように話してほしいと依頼され、母に話した。
あらららら、ここで川中さんが食べたの?!ヤバイでしょう。
知らないよ、今後、一回同意してしてしまったら
次回も、その次もってなる確率が高いでしょう。
ま、いいや、今回は苦情もあって母のご機嫌じゃないけれど、
そのあたりをケアしようと食事を一緒にとってコミュニケーションを
図ろうとして下さったのだろう。
そして、お昼過ぎ、ホームヘルパー主任の川中さんから電話で
昨日の報告として「お天気が悪くてお母さんが買い物に行きたくない
とのことで行かず、料理を作ってきました」と。
私が「ありがとうございます。母からも昨夜報告を受けました。
一緒に食事を取って…」とまで言うと「あ、いえ、ちょっぴり
お味噌汁を味見した、味見程度で、ちょっぴり」と。
別に悪いという話ではない。私なりの理解があるし、
その上で今後しらねーぞ、逆に母に出さないようにとか
言えないし、と自分たちで対処するように依頼したかった。
が、しかし、そのあたりを伝えようにも保身が強い感じで
何度も「ちょっぴり、味見程度で云々」を繰り返すだけで
こちらの主旨を理解しようとする姿勢が感じられない。
前回同様、さっさと電話を切りたいという様子が見られ
言ってもムダな様子で面倒だった。信頼度↓
で、「今日、お母さんのところに行くんですよね、
買い物に行かなかったので冷蔵庫に何もないんです。
卵もないし、魚やお肉類もなく、全然ないですから」だった。
正直あきれた。自分の都合の悪いことはもう大変。
ありがたい気持ちが薄れ、自分が嫌になるけれど、
ため息。はい、はい、もう魚もお肉も買いました。
あ、でも卵を買っていないわ。買うか…
ま、いいや卵情報をくれたから。
母のところに行くと卵があった…。
川中さんの心情が卵に象徴されているような感じ。
私は何気に母に「川中さん、どこに座って食べたの?」
「ん?ここ」
「そう、で、何を一緒に食べたの?」
「え?何って…大したものじゃないわね。お魚もお肉もなかったし
卵を使ったような気もするし…」
「川中さんもお母さんと一緒のものを食べたの?」
「そうよ、一緒に食べてくれたの。私、ひとりでしょう。
だから私が誘ったの。ちゃんと食べていってくれたわ」
「そう…」
「あら、いけなかった?」
「本当はダメなの。そういうこと」
「あら、ごめん。私が誘ったのよ…」
「わかるよ、ひとりで食べるって寂しいものね、
お話をしながら食べたほうがたのしものね」
「そうなの。わかってくれる?」
「でも、お味噌汁をちょっぴり味見程度に食べるより
ちゃんと食べて行ってほしかったね」
「え?味見は自分で作ったのだから、台所でしたでしょう。
川中さんはちゃんと食べていってくれたのよ」と屈託がない。
「…」
「サクチャン、何かあったの?」
「ん?ん~」と川中さんから頂いた電話の内容を話した。
「サクチャン、ごめん」
「え?お母さんがなぜ謝るの?」
「ん?嫌な思いをさせて…。ねぇ、それよりね、もし、もしもよ。
ヘルパーさんの目の前で転んだとするわよね。その時ね、
サクチャンが私の様子を聞きたくて質問してもそういう人って
『気づいたら倒れていました』とか言うのだろうか?」
私は驚いた。私が懸念していることと同じことを母が言う。
私は別に食事を一緒にとったことはどーでもいい。
できればこちらから言う前に最初から「本当はダメなんですけど、
今回は特別にコミュニケーションをはかるために一緒に
お食事を取りました」ぐらい言ってほしかった。
あの慌てた様子もそうだけど、「あ、ちょっぴり、
あの…お味噌汁を味見程度で、ちょっぴり…」はいただけない。
私は母と相談して、ケアマネが所属する団体とホームヘルパーの
団体をわけることにした。現在、同一団体で、何かあったら互いに
連絡が取りやすいということで同一団体にしたが、デメリットが出た。
そ、どーも互いにかばいあう様子が見受けられ問題意識が弱く感じる。
客観的に見て、何かあった際に責任をかばいあうのであれば、
利用者のためにならないと考える。
母は「サクチャン、そういう人って『あそこの家族はうるさい』とか
言ってサクチャンに迷惑がかかるから、私、嫌だけど我慢するわ」と。
「お母さん、私ね、何を言われてもいいの」と言うと母は「ごめんね、
ありがとう。嬉しい」と泣きだした。
「ひとまず3か月様子を見るから。でもね、私自身が自分の母親を
任せたくないの。何かあった時に『私は!』となれば困るのよ」
色んな家族がいるから、保身もしたくなると思う。
だけど頭から利用者の家族を小さな器と決めてかかるのはどうかと思う。
私は介護を受ける側と介護する側のコミュニケーションを
改めて考えた。
ダメだ、こりゃ。
ごめんなさい、が素直に言えるって自己・他者肯定の原点。
自分の至らなさを感じ、表現できなのならば、ちょっと…。
9月28日
サクラ