生きる喜び



本日、お昼過ぎまで仕事。

ようやく年末年始の準備を始める。
…といっても十分な時間がない。
できるといえば、お正月用のお節を用意し、
その他に年越し・お正月らしい品物を揃える程度。
母の身の回りのものを買いたす。

そして、お隣のうち、民生委員の方、お世話になっている婦人部長さん。
それぞれにお菓子などをもって挨拶に回った。

お隣の家におそらく頻繁にかけこんでいるのだろう。
お菓子を渡すとおばさんが「重いねぇ」と笑いながら云い、
それを幾度となく繰り返していた。
近頃、母はお隣のうちの人をあまり好意的な表現をしない。
母の依存心がエスカレートして、そのくせ思い通りの
結果にならないとチクリと嫌味を言ってしまったように思っている。
このパターンは以前にもあった。

私がお隣の家にあいさつに行ってきた旨を言うことでスイッチが入り、
「何もしてくれない」「意地悪をされた」と言いだす始末。
そして逆隣の家に…と言いだす。

正直言って悲しかった。
受け入れられることを求め、そして、娘が自分のためにご近所に
あいさつ回りすることを当然のごとく思う母を残念に思う。
自分の娘が他者に礼をつくそうとすることに親として喜びを
感じられない…自分の躾をよしとし娘の成長に誇りをもってほしい。

私にしてみると報酬が伴う関係ではない御近所の方々にただただ感謝。
挨拶をしながら涙がこぼれた。
奉仕という意識もなく、当たり前という感覚で手をさしのばして
下さっている。母を支えて下さっていうことは、間接的に私をも
支えて下さっていることと同じ、いや、それ以上だと考えている。

私はたぶん限界にきているのかもしれない。
母の話を聞いているうちに投げ出して、一瞬、死にたいと思った。
死にたいぐらいの気持ちというより死にたいと感じる自分がいた。

気を取り直し、台所で食事につかった食器を洗い、
シンクに置き忘れているお肉を1回分ずつにラップでくるんでいると
母が横にきて「じゃべりもせず、ムスムスして!」と泣きだす。

「お母さん、いまね、何枚ずつラップしようかながらやっているの。
お母さん、私、もともと言葉数の少ない子だったよね」
「しゃべるくらいいいでしょう?」
「悪いけどお母さんは耳がとおい、私は大きい声で話す。
こっち(台所)で手を動かし、台所からそっちにいるお母さんに
話しかける場合、どれくらい大きな声を出すと思う?
大きい声でしゃべるってけっこう疲れるのよ」
「どうせ私はサクチャンを疲れさせていますよ!」
「お母さん、大きい声で話すのが疲れるって言っているの。
それよりあっちに座って待っていて。いま終わるから」

そして、母は不愉快さ満載の表情で椅子に腰かける。
「お母さん、食後の薬を飲もう!」と努めて明るい声で言うと
薬を飲みに再び台所にやってきて、また椅子に戻った。

台所仕事を終えて、母のもとに行き、手を握り、
「あのね、お母さん、私も悲しいと感じることある。
でもね、悲しさを感じてもそれを乗り越えて生きていかなきゃ
ならないの。お母さんもわかっていると思うけど、生きるって
楽しいことばかりじゃないし、都合のいいことばかりじゃないでしょう?
辛さや悲しさ、いろいろなことがあって、この世で勉強をしているの。
大人の勉強だよね?私は自分の親からそう習ったの」
「…」
「お母さんは乗り越えられる人なの。天国でおじいちゃんや
おばあちゃん、そしてお父さんもお母さんを見守っているんだからね」
「…私、薬を飲むわ」
「もう飲んだんじゃなかった?」
「飲んでいない」と言って、いつも薬が置いてあるところに行った。
「あら?!袋が空になっている…私、飲んだの?」

この後、母は落ち着いたが「私、おかしくなっているね」と泣いた。
私は、苛立ちや寂しさを抑えるために人間は行動を起こし、
時にそれを忘れることもあって、誰かがやったとか、不思議な現象が
起こったとか受け止めてしまうこともあるということを話した。

その間、母は不愉快な様子も見せずに、冷静に聞いていた。

私は母に「生きる上で都合のいいことばかりではない」と言いながら
自分にも言い聞かせていた。来年、こうした生活はどのようになって
いるだろう…私は仕事を整理しようと考えている。
考えているというよりも、そうしようと決めた。

神様、私に力を与えて下さい。
生きる喜びを見出す力を与えて下さい。Amen


2008年1月1日
サクラ